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原発事故は現在進行形、企業も家庭も総節電体制になっているこんなときに電気を大量に使う演劇?、と疑問符を持ちつつもパルコ劇場に行って参りました。渋谷の駅を降りるとなるほど暗くて静か。いつもと何が違うんだろうと見回すと、あの騒音甚だしかった巨大屋外ビジョンが全て消灯、デパートは東急も西武も6時で閉店しており、昭和50年代はこんな風景だったなと思い出しながら、人出の減ったスクランブル交差点を渡りました。
主催者側も公演中止か続行か悩んだのでしょう。大震災当日の3月11日は休演、12~13日は開演、14日は休演、15日から開演しています。開演に先だって、三谷幸喜の公演続行を決めた苦悩の舞台挨拶がありました。
内容は、ナチスドイツのプロパガンダ映画の製作にまつわる人間模様を描いたもので、淡々と3時間の演劇が進んで行きます。少し重たいテーマですが、それぞれの登場人物の揺れ動く気持ちがよく伝わってくる三谷幸喜らしい作品だと思いました。
長い一日でした。
この日午前6時にBercker氏が家まで来てくれて、車一台でサンメドウズ清里スキー場に行きました。夜youic氏と合流し、翌日は富士見パノラマスキー場に行き、入笠山にも登りたいと思っていました。
午後2時46分、レストランの席に座ろうとした時、突然停電になりました。2~3秒して、大きな揺れが始まり、柱の少ないレストランの天井は大きく波打っていました。
「外に出よう」、だれもがそう思って出口に向かいましたが、停電のため自動ドアが開きません。従業員がドアを開けるまでの数秒の間が、とても恐ろしい時間でした。
レストランの中は危険だということで、外で待機するように指示がありました。
長い揺れが収まったと思って館内に戻ると余震でまた外に避難する。収まって館内に戻る、余震で避難する、を何度か繰り返しました。リフトは当然止まり、係員はリフトに残された人の救助に向かいました。
この間、家族の安否を確認しようとしましたが、電話は繋がらずメールは届いているかどうかもわかりません。ネットは生きているので、この日合流予定のyouic氏とは、Becker氏がツイッターで連絡を取り合いました。妻からは、Softbankの災害用伝言板で無事の連絡が入りました。私も同じ機能を使って連絡しようとしましたが、色々調べた結果iPoneではできないことが判明しました。(その後急遽新アプリができましたが、もう手遅れです。)
この日の21時に小淵沢駅でyouic氏と合流して1泊する予定でしたが、とても無理だとわかり、16時ごろに帰宅を決めました。
帰宅途中、コンビニの公衆電話で家に連絡できました。家に着いたのは午前4時。長い一日になりました。(Becker氏が佐倉に帰宅したのは、さらに13時間後の17時だったそうです。)